会社で一番えらい社長様からの案件の
お見合いをこちらから断ってしまった、
サラリーマンとしては最低の人間です。
あれ、受けていたらどうなっていたのか?
別にあの女性は経営者の同族じゃないので、
出世などには関係がなかったであろう。
もちろん、あの、独特の日本海側の(偏見でごめんなさい)
雰囲気には馴染むのは大変みたい。
また、あっちの人も、同郷の人間しか信用できないという
考えを持ってる人もいるしね。
そんなこんなで、社長さまには愛想を尽かされ、細々と
仕事をしていたわけです。
当時、韓国との合弁会社の話ができつつ、また、お約束の
アテンダーになったわけですね。
ガーシーがいうアテンダーとは意味合いが異なりますけどv( ̄∇ ̄)v
タイの時ほどは深く付き合いはしていませんでしたが、
韓国人、日本では お互いの国が諌め合うような発言が多いですね。
ま、教育の問題でしょうが、
その時はまだ政治についてもあまり知らなくて、
歴史観というのもさほどない人間。
話を合わせるだけとなってしまったのですが、
別に何がタブーで、聞いたらあかん、というのも知らないので、
自然と南北の話になったのだね。。。
朝鮮戦争というと、アメリカ留学時代、大学の講師(アメリカ人)が
戦争に行きたくないという理由からカルホーンのようなデブになったという
話を本人から、聞いたことがあるくらい、
実際、朝鮮には行ったようで、韓国混血の子供がいたから、現地で
カルホーンになったかもしれないが、、、
知ってるのはその程度。
その韓国人は、おじいさんがまだ北にいる、会いたいと言っていました。
そうか、
憎みあっての南北分断じゃなかったのね。
ソ連とアメリカによって肉親が離れ離れになってしまったのね。
確かに韓国人は素養というところは、日本人と異なる、でも
それは知らないだけで、韓国から見たら日本人はこれまた異質。
お互いそれを理解して受け入れないとならないよね。
その人は日本語が話せるだけあって、文化も、またその違いも理解をしているので
よかったが、いわゆる、偏向教育だけの人だったら、こうは行かないかな。
でも、商売は順風満帆とは行かなかったな。
自我が強すぎる(お互い様だけどね)
そういう意味合いでは
台湾人の方が気質は合いやすいか。
私の年齢で敵国、属国という表現を使っていた。
張本が敵国で、王が属国だったと、、、そんな感じ。
あ、野球の話です。
なんだかんだ、変なやつも多いけど、
一人で釜山からソウルへ行った時も(たまにぼられたけど)
人は優しい(お金の力もあったかも)
タイに来てからも、ニチゴリゾートで一人合宿をしていた時も
韓国人がたくさん押し寄せてきて、ゆっくりプレーをするわけですが、
私が後ろから来たら、必ず先に行かせてくれます。
優しいですよ。
たまに、ハングルで話しかけられますが、それはご愛嬌。
日本人がいるとはつゆとも思っていないでしょうから。
話は戻って
仕事としては韓国むけに輸出をしたのはほんの少しの期間で
そうそう、あの頃はとんでもない税率をかけられていたなぁ。
なので、ソフトの輸出に一気に転換したわけ。
タイもそう。
タイなんか、シンガポールのインド人経由でヘリコプターから
落とすというような荒技で輸入をしたとか、いろんな逸話があるが、
それはまた今度。
お見合いをこちらから断ってしまった、
サラリーマンとしては最低の人間です。
あれ、受けていたらどうなっていたのか?
別にあの女性は経営者の同族じゃないので、
出世などには関係がなかったであろう。
もちろん、あの、独特の日本海側の(偏見でごめんなさい)
雰囲気には馴染むのは大変みたい。
また、あっちの人も、同郷の人間しか信用できないという
考えを持ってる人もいるしね。
そんなこんなで、社長さまには愛想を尽かされ、細々と
仕事をしていたわけです。
当時、韓国との合弁会社の話ができつつ、また、お約束の
アテンダーになったわけですね。
ガーシーがいうアテンダーとは意味合いが異なりますけどv( ̄∇ ̄)v
タイの時ほどは深く付き合いはしていませんでしたが、
韓国人、日本では お互いの国が諌め合うような発言が多いですね。
ま、教育の問題でしょうが、
その時はまだ政治についてもあまり知らなくて、
歴史観というのもさほどない人間。
話を合わせるだけとなってしまったのですが、
別に何がタブーで、聞いたらあかん、というのも知らないので、
自然と南北の話になったのだね。。。
朝鮮戦争というと、アメリカ留学時代、大学の講師(アメリカ人)が
戦争に行きたくないという理由からカルホーンのようなデブになったという
話を本人から、聞いたことがあるくらい、
実際、朝鮮には行ったようで、韓国混血の子供がいたから、現地で
カルホーンになったかもしれないが、、、
知ってるのはその程度。
その韓国人は、おじいさんがまだ北にいる、会いたいと言っていました。
そうか、
憎みあっての南北分断じゃなかったのね。
ソ連とアメリカによって肉親が離れ離れになってしまったのね。
確かに韓国人は素養というところは、日本人と異なる、でも
それは知らないだけで、韓国から見たら日本人はこれまた異質。
お互いそれを理解して受け入れないとならないよね。
その人は日本語が話せるだけあって、文化も、またその違いも理解をしているので
よかったが、いわゆる、偏向教育だけの人だったら、こうは行かないかな。
でも、商売は順風満帆とは行かなかったな。
自我が強すぎる(お互い様だけどね)
そういう意味合いでは
台湾人の方が気質は合いやすいか。
私の年齢で敵国、属国という表現を使っていた。
張本が敵国で、王が属国だったと、、、そんな感じ。
あ、野球の話です。
なんだかんだ、変なやつも多いけど、
一人で釜山からソウルへ行った時も(たまにぼられたけど)
人は優しい(お金の力もあったかも)
タイに来てからも、ニチゴリゾートで一人合宿をしていた時も
韓国人がたくさん押し寄せてきて、ゆっくりプレーをするわけですが、
私が後ろから来たら、必ず先に行かせてくれます。
優しいですよ。
たまに、ハングルで話しかけられますが、それはご愛嬌。
日本人がいるとはつゆとも思っていないでしょうから。
話は戻って
仕事としては韓国むけに輸出をしたのはほんの少しの期間で
そうそう、あの頃はとんでもない税率をかけられていたなぁ。
なので、ソフトの輸出に一気に転換したわけ。
タイもそう。
タイなんか、シンガポールのインド人経由でヘリコプターから
落とすというような荒技で輸入をしたとか、いろんな逸話があるが、
それはまた今度。